村上忠順翁について

村上忠順翁とは

 村上忠順は、文化9年(1812)刈谷藩堤村新馬場(豊田市高岡町)で、刈谷藩御典医村上忠幹の次男として生まれた。14歳で俳諧・和歌を学び、15歳で尾張藩名古屋の加藤敬順に医学を、17歳で尾張藩お付け家老渡辺綱光(豊田市高橋町)に和歌、18歳で秦鼎に万葉集を、そして植松茂岳に古事記を学び、地元で医師として開業していた。嘉永2年(1849)には本居内遠に弟子入りし、国学を学んだ。
 嘉永6年(1853)刈谷藩(土井氏)の御典医であった父の急逝により、藩医としてその跡を継ぎ、同時に、藩主土井利善公及び藩士たちに和漢の講義を行い、教育係としての役割も務めた。一方、地元では庶民を診る医師としても活動した。
 刈谷藩に努める傍ら、彼は終生和歌を愛し、京都の太田垣連月尼や各地の愛好家たちと交流し多くの歌集を残した。

村上文庫
村上文庫

 しかし、時代は幕末の激動の時期であり、国学を学んだ忠順は、天誅組に参加した刈谷藩の松本圭堂や宍戸弥四郎たち、さらには連月尼らとの交流の中で倒幕運動を支援するようになっていった。娘婿である深見篤慶(岡崎藩木綿問屋)の協力により、天誅組に莫大な額の軍資金を送り、自らも次男村上忠明を参加させた。  こうした活動の中で、後に官軍の総大将となる有栖川宮熾仁親王の信頼厚く、伊勢・熱田両神宮への戦勝祈願文を起草した。  忠順は官軍とともに江戸に向かい、親王から東京で明治政府への出仕を求められたが固辞し、堤村に帰郷、医師として、国学者・歌人としての生涯を終えた。  彼が収集・著作した書物は3万点余に上るが、そのうち2万5千点余を刈谷市の宍戸俊治氏、藤井清七氏によって刈谷市に寄贈され、刈谷市中央図書館に村上文庫として保存されている。 これらの書物はのちに森銑三氏によって整理され、現在は国内外における歴史家、文学者たちの近世研究に関する重要な資料として役立っている。

村上忠順翁をとり巻く人物

勤王  :有栖川宮熾仁親王 天誅組 松本奎堂
     宍戸弥四郎 伊藤両村
国学  :本居内遠 羽田野敬雄
歌   :大田垣蓮月尼 遊女桜木 熊代繫里 
     深見篤慶 渡辺綱光
教育  :植松茂岳 秦鼎
医学  :酒井玄悦 加藤敬順
村上文庫:刈谷市中央図書館 森 銑三
刈谷城 :土井利善 利勝寺

忠順の使用した机

村上忠順翁に関する概略年譜

和暦 西暦 村上忠順 主な著書 和暦 世の中の動き
文化9年 1812 堤村新馬場にて出生
文政7年 1824 森高雅に画を学ぶ。
  文政8年 外国船打払令出す
文政11年 1828 拳母の渡辺綱光に歌を学ぶ。
文政12年 1829 秦鼎に万葉集、植松茂岳に古事記を学ぶ。
天保元年 1830 父忠幹刈谷藩土井候の侍医となる。
天保2年 1831 高津美千代と結婚
天保4年 1833 長女愛子誕生(深見篤慶の妻)
  天保7年 天保の大飢饉
天保9年 1838 次女小鈴誕生
天保10年 1839 長男忠國誕生(1843年没) 『三山日記』
天保11年 1840 次女小鈴誕生(鈴木重慶の妻) 『蓬盧集』    
天保12年 1841 三女八千代誕生(1862年没) 『辛丑詠草』 天保12年 天保の改革始まる
天保13年 1842 長男忠國没す
弘化元年 1844 次男忠明誕生(1865年没)
弘化4年 1847 三男忠明誕生
嘉永元年 1848   『蓬園集』
嘉永2年 1849 本居内遠に入門
嘉永3年 1850 四男純誕生(1851年没)      
嘉永6年 1853 父忠幹没 忠順土井候の侍医となる。   嘉永6年 ペリー来航
安政元年 1854 福田村(みよし市)の眼科医酒井玄悦方へ医学修業 『草分衣日記』 安政元年 日米和親条約を結ぶ
奥御医師見習いとなる。
藩主に同行し江戸に行く。
安政2年 1855 『草分衣日記』
安政5年 1858 『雅言訳解拾遺』 安政5年 日米修好通商条約を結ぶ
安政6年 1859 『三河名所歌合』 安政6年 安政の大獄
万延元年 1861 連月の短冊、壺、画を土井候に献上 『百八十番歌合』 万延元年 皇女和宮将軍家茂に嫁ぐ
文久元年 1861   『蓬園集』(嘉永7年以降)
文久2年 1862 三女八千代没す。 『散木弃歌集標註』
文久3年 1863 『類題和歌玉藻集』初篇 文久3年 天誅組大和戸津川にて挙兵
元治元年 『元治元年千首』『年中日次記』 元治元年 第一次長州征伐
慶応元年 1865 母、次男忠明没す。 『類題和歌玉藻集』2篇 慶応元年 第2次長州征伐
慶応2年 1866 土井候嵯峨護衛を命じられ、忠順も嵯峨に行く。 『厚田紀行』『類題三河歌集』 慶応2年 薩長連合成立
  慶応3年 大政奉還
明治元年 1868 有栖川宮に召され、駿河に出仕   明治元年 五箇条の御誓文
宮に同行し江戸西の丸に入城
有栖川宮とともに京に行く。
明治2年 1869 豊川の修道館発会 助教となる。 『卯月日記』『養老日記』
『出県日記』『嵯峨日記』
明治2年 版籍奉還
明治3年 1870 刈谷藩知事忠順宅訪問 『伊勢日記』
  明治4年 廃藩置県
明治5年 1872 忠順、忠浄囚われ京に送られる。 『蓬盧集』『雅言訳解拾遺』 明治5年 学制交付
神衹官祠官となる。
明治6年 1873 少講義となる。熊代繁里忠順宅を訪問
明治7年 1874 少講義を辞す。深見篤慶千巻舎建設 『伊勢紀行』『古事記標註』
『元治元年千首』
明治8年 1875   『標註古語拾遺』『山室山詣記』
『伊勢日記Ⅱ』『水無月紀行』
明治10年 1877 『路費日記』 明治10年 西南戦争
明治11年 1878 東京へ行く。 『東游日記』
明治12年 1879 東京へ行く。
明治14年 1881 『蓬盧集』三冊 明治14年 国会開設 自由党結成
明治15年 1882   『櫻蔭集』
明治17年 1884 忠順没す。(73歳) 『蓬盧集』
忠浄が忠順の『七十賀集穉竹集』刊行

村上家・村上忠順翁顕彰会発行著書

発行年 書名
昭和18年 蓬蘆歌選
昭和44年 村上忠順集
昭和49年 村上忠順集 (紀行篇)第二
昭和56年 村上忠順集 (座右記)第三
※上記まで村上家発行著書
平成8年 草木に吹く風
平成11年 10年のあゆみ
平成12年 花勝見考
平成13年 文苑拾葉 上
平成14年 文苑拾葉 下
平成15年 百番歌合せ
平成16年 村上忠順とその周辺
平成17年 村上忠順叢書 二百番歌合せ
平成18年 村上忠順叢書
第七 平成17年度四方樹大学 第二講
『座右記』に見る村上忠順像
平成19年 村上忠順叢書
第八 平成18年度四方樹大学 第三講
和歌の神童と刈谷藩表御医師
平成20年 村上忠順叢書
第九 平成19年度四方樹大学 第四講
医者が見た刈谷藩と嘉永七年大地震
平成21年 村上忠順叢書
第十 平成20年度四方樹大学 第五講
参勤交代と東海道の旅
続・10年のあゆみ
平成22年 村上忠順叢書
第十一 平成21年度四方樹大学 第六講
村上忠順 花のお江戸滞在記
平成23年 村上忠順叢書
第十二 平成22年度四方樹大学 第七講
御駕籠に揺られて、東海道は上り旅
平成24年 村上忠順叢書
第十三 平成23年度四方樹大学 第八講
安政改革と大地震
平成25年 村上忠順叢書
第十四 平成24年度四方樹大学 第九講
国元での殿様と忠順さんの暮らし
平成26年 村上忠順叢書
第十五 平成25年度四方樹大学 第十講
(その一)天誅組を支えた忠順翁のネットワーク
(その二)古文書あれこれ
平成27年 村上忠順叢書
第十六 平成26年度四方樹大学 第十一講
忠順翁の手紙を読む
平成28年 村上忠順叢書
第十七 平成27年度四方樹大学 第十二講
(続)忠順翁の手紙を読む
平成29年 村上忠順叢書
第十八 平成28年度四方樹大学 第十三講
忠順翁の蔵書目録を読む
平成30年 村上忠順叢書
第十九 平成29年度四方樹大学 第十四講
忠順翁の手紙を読む
平成31年 村上忠順翁顕彰会30周年記念
「忠順大賞」「忠順さん物語」
令和2年 村上忠順叢書
第二十 平成30年度四方樹大学 第十五講
忠順翁の『座右記』を読む
10年のあゆみⅢ
令和3年 村上忠順叢書
第二十一 令和元年度四方樹大学 第十六講
忠順翁の『座右記』を読むⅡ
令和4年 村上忠順叢書
第二十二 令和2年度四方樹大学 第十七講
忠順翁の『座右記』を読むⅢ
令和5年 村上忠順叢書
第二十三 令和3年度四方樹大学 第十八講
忠順翁の『座右記』を読むⅣ